「安息に向かって歩む旅」

「安息に向かって歩む旅」

聖書 ヨシュア記 1:1-9、ヘブライ人への手紙 4:1-10

2019年 2月 24日 礼拝、小岩教会

説教者 稲葉基嗣

 

さきほど一緒に声を合わせて読み交わした、詩編84篇の詩人は、

神のみもとにこそ安らぎがあり、

神と共に歩む中にこそ平安があると感じていました。

ですから、この詩人は、喜びのうちにこのように歌いました。

 

いかに幸いなことでしょう

あなたの家に住むことができるなら(詩編 84:5)

 

「あなたの家」。

それは神を礼拝する神殿を意味しますが、

やがて、エルサレムの神殿が崩壊した後、

この言葉は、天の神のいるところを意味するものとして、

信仰者たちから受け止められるようになりました。

つまり、「将来、天の国に受け止められるその日、

私たちは神の家に招かれ、神のもとで安らぎ、神と共に生きる」と。

このことは、ヘブライ人への手紙の著者も抱いた強い確信でした。

著者は、将来、神のみもとへと行く日を

天の都へと招かれるその日を「安息」と呼んで、読者に語りかけます。

 

だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、

取り残されてしまったと思われる者が

あなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。

(ヘブライ 4:1)

 

神によって安息が与えられる日は必ず来ます。

でも、残念ながら、私たちはそのことを簡単に忘れてしまいます。

というのも、現実は、困難に溢れ、心も身体も疲れを覚えるからです。

頭を悩ませる問題は次々と起こり、

目まぐるしい日々を私たちは過ごしています。

安息など、今この時、得られるとは思えない場面がしばしばあります。

まして、安息が与えられることを

将来の希望として抱くことなど難しいように感じてしまうのです。

現代に生きる私たちにも通じるような問題に、

当時の信仰者たちも悩まされていたからこそ、

この手紙の著者は、読者に向かってこのように語りかけました。

 

だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、

取り残されてしまったと思われる者が

あなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。

(ヘブライ 4:1)

 

「神の安息にあずかる約束がまだ続いている」と言う時、

著者は、明らかに、旧約聖書の時代を思い起こすように招いています。

というのも、「神の安息にあずかる約束」について触れた後、

著者はヨシュアという名前を読者に思い起こさせたからです。

ヨシュアの生きた時代は、イスラエルの民が約束の地へと入って行き、

その地を自分たちの土地として手に入れた時代でした。

ヨシュアはその時代のイスラエルの指導者でした。

この情報だけを聞くならば、

ヨシュアやイスラエルの成功物語のように聞こえるでしょう。

しかし、決してそうではありません。

「約束の地」として神が示した、カナンの地にたどり着くまで、

イスラエルの民は荒れ野を40年間もさまよい続けました。

約束の地を求めて歩むその旅の途中、彼らは何度も落胆しました。

何度も神を疑い、不信仰に陥りました。

何度も神に与えられている約束を忘れてしまいました。

しかし、安息など感じられずにいたイスラエルの民を

神は何度も何度も励まし続けました。

そして、ヨシュアがイスラエルの民のリーダーとなった時、

ついに約束の地にイスラエルはたどり着いたのです。

旧約聖書の「ヨシュア記」という名の書物は、

1章において、約束の地を目の前にしたとき、

イスラエルの民が困難を感じていたことが伺えます。

というのも、1章の前半において、

ヨシュアは神から「強くあれ、雄々しくあれ」と励ましを受けています。

イスラエルの民を導くヨシュア自身が

これから直面するであろう出来事に恐れを抱いていたからこそ、

神は彼にこのような励ましの言葉を語ったのでしょう。

ヨシュアが恐れを抱くのは当然です。

この時、目の前に約束の地が広がっていましたが、

ヨシュアやイスラエルの民の前には、ヨルダン川が流れていました。

このヨルダン川ですが、

実は渡るのは相当過酷な川でした。

ヨルダン川は、通常は幅が30メートル、

深さが2~3メートルの川でした。

3メートルということは、どう考えても足が付きません。

しかも、ちょうどこの時期は春だったため、洪水の時期でした。

通常より川の水量も増え、ヨルダン川の流れは急になっていました。

そこに流れる川は、まさに激流。

ですので、どう考えても、

この川を渡るのは無理な話です。

それも、自分だけでなく、

イスラエルの民全員が渡らなければならないのです。

イスラエルの民は、力の強い、運動神経のある、

泳ぎの得意な者だけではありません。

子どもたちや老人たちもいたことでしょう。

そのため、無理に渡ろうとしたら、

多くの死者が出てしまうかもしれません。

今まで荒れ野で生活をしていたため、

舟など当然もっているはずありません。

そして、川を越えたその先にあるのは、城壁都市エリコです。

ヨルダン川を渡ると、もう引き返すことはできません。

この川を渡ったならば、敵と必ず戦わなければならないのです。

そして、これらふたつの困難を乗り越えた後も、

カナンの地の人々との衝突や戦いが続くであろうことは、

簡単に想像することが出来ます。

不安要素はたくさんあって、数えればきりがありません。

ヨシュアがこの時抱えていた不安や恐れは、このようなものでした。

もちろん、現代を生きる私たちだって、

ヨシュアと同じような思いを抱くことがあります。

目の前に広がる現実が、ヨルダン川の激流のような、

乗り越えるのが困難な状況のように思えることがあります。

ヨルダン川を越えた先に、エリコの町があったように、

どう頑張っても乗り越えられそうにない壁に

突き当たる感覚を覚えることだってあります。

でも、そのような中であっても、平安を抱くことが出来ると、

神はヨシュアやイスラエルの民に、

そして何よりも私たち一人ひとりに伝えているのです。

ヨシュアの物語は、力強く、私たちに励ましを与えます。

イスラエルの民が激しく流れるあのヨルダン川を渡る時、

神に信頼して、足を踏み出し、その足が水に触れた時、

ヨルダン川の激しい水の流れは止まりました。

まさに、そこに、その瞬間に、神は安息を用意されることを

ヨシュアの物語は私たちに向かって宣言しているのです。

神は必ず、最終的に、約束の地という安息の場所へと

私たちを招いてくださる方です。

それと共に、私たちが神に信頼して歩み出す時、

神は必ず私たちと共にいてくださり、

必要な助けを私たちに与えてくださるのです。

だから、神はヨシュアとイスラエルの民に、

そしてこの物語を読む私たち一人ひとりに

「雄々しくあれ、強くあれ」と励ましの言葉を語りかけるのです。

このような確信を抱きながら、ヘブライ人への手紙の著者は、

神が最終的に安息を与えてくださるという約束に、

希望を抱いて歩むようにと招いているのです。

 

それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。

(ヘブライ 4:9)

 

確かに、イスラエルの民は、ヨシュアと共に、

安息の地へと入ることができました。

でも、そこはイスラエルにとって、

永遠の安息の地ではありませんでした。

彼らは何度も土地を奪われ、何度も追放されました。

ですから、彼らにとって、神の約束した安息は、

未だに完全な形では訪れていないのです。

その意味で、安息日の休みは神の民に残されています。

つまり、将来、神のみもとに招かれるその時にこそ、

神のもとで安らぎを得ることを通して、神の約束は実現するのです。

ところで、著者がこのことを伝えるために、

ヨシュアを引き合いに出したのには、大きな理由がありました。

「ヨシュア」というヘブライ語の名前を

ギリシア語に直すと、「イエスース」です。

つまり、ヘブライ人への手紙の著者は、

ヨシュアが約束の地へイスラエルの民を導いた出来事と、

イエスさまを通して、実現する安息へと導かれる未来とを

重ね合わせて見たのです。

ヨシュアがイスラエルの民を約束の地へと導いたように、

イエスさまは、必ず、安息へと導いてくださいます。

イスラエルの民だけでなく、すべての者を、

イエスさまは安息へと招いて、こう言われます。

 

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。

休ませてあげよう。(マタイ11:28)

 

私たち一人一人も、

このような安息へと向かう旅路へと招かれています。

この旅は、将来にのみ、

神のもとで安息を得るというような旅では、もちろんありません。

私たちの信仰の旅路は、イエスさまが伴ってくださる旅です。

私たちが疲れる時、重荷を背負う時、

イエスさまが私たちを背負ってくださる旅です。

だから、この旅路を行く私たち一人ひとりに

イエスさまはこのように語りかけておられます。

 

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。

わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ 14:27)

 

心を騒がせてしまう出来事は数多くあります。

不安でいっぱいになってしまうことも多くあります。

でも、この世界を造り、この世界をおさめておられる神は、

いつも、そしていつまでも私たちと共にいてくださいます。

あなたを愛し、あなたを決して見捨てない神が、

あなたといつも共におられます。

あなたの罪を赦すために、あなたを救い出すために、

生命をかけてまで十字架にかかってくださった方が、イエスさまが、

この信仰の旅路をあなたと共に歩んでくださいます。

だから、私たちは、イエスさまによっていつも安息を与えられています。

ですから、私たちは心が騒いでしまうときも、おびえそうなときも、

神のみもとに確かな安息を見出しながら、一歩一歩、

目の前の道を歩んで行くことが出来るのです。

どうか、慈しみに溢れる主である神の守りと安息が、

いつもあなた方と共にありますように。

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