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「主のもとに集う異邦人」

 パウロが聖霊に選ばれて始めた伝道旅行は3回にわたり、

小アジアからマケドニア。今のギリシアにまで及びました。

 キリスト教が広まってゆくとともに、キリストを救い主として信じる人たちに対する

迫害が起こりました。

 ローマ帝国は強く大きな影響力を持つ国ですが、沢山の国や地域を支配するために、

支配した地域の宗教の関係者にローマへの上納金を納めさせ、

かわりにその宗教や信仰を公認する、という政策を行っていました。

宗教活動を妨げないことで多民族国家の安定を保ってきたのです。

ユダヤ教と呼ばれる、エルサレムの神殿を中心にした宗教は、ローマから公認されてい

ました。彼らは自分たちの礼拝を安心して行い、人々の生活の平安が保たれていれば、

ローマ総督に睨まれることがなく、自分たちの宗教活動がつぶされることは無い、

「ローマの平和」と呼ばれる環境での緊張感が、そこにあったのです。

ローマの政治上の理解では、イエス・キリストが十字架にかかったのも、

紛争の原因を作った人物をエルサレム神殿の大祭司からの告発により処刑しただけのこと

公認宗教の中で起こった分派が既存の宗教と衝突を起こし、

その解決のために 行われた処刑だったのです。

今回、パウロの伝道旅行によって、先々で起こったユダヤ人たちとの騒動は、ローマに

とってすでに解決したはずの問題の再燃でした。

この騒動をが解決されないことは、地域総督たちが政治的に無能であると考えられ、

これはローマ帝国内の人事に影響します。地方総督の命がかかっています。

使徒言行録21章でパウロをユダヤ人たちが訴えた時、エルサレムの治安を守っていた

千人隊長が軍を出動させたのは、こうした事情があったからです。

ローマ軍人たちは、ユダヤ人同士の争いごとだから、

首謀者を逮捕すれば納められると考えてパウロを逮捕し、鎖につないで牢屋に入れました

 千人隊長にとって想定外だったのは、パウロが生まれつきローマ市民の資格を持ってい

たことです。パウロは民族としてはユダヤ人でしたが、アジアのキリキヤ州タルソスとい

ローマの属州の都市で生まれ育ちました。属州の出身者には、ローマの市民権があり、

裁判で判決が下りる前に刑罰を受けることは、鎖で繋ぐことも鞭で打つことも、

罰した人間の責任問題になりました。

以前、パウロは伝道中に石打の刑にあったことがありましたが、

あれはユダヤ人社会の暴動による私刑 ワタクシの刑で、ローマは関わっていません。

また、イエス・キリストはローマ社会において立場は低く、ローマの市民権はありません

。ですから、ローマ市民ならば決してかけられることのない、

十字架という最高に残酷な刑に処されたのです。

 パウロは生まれながらのローマ市民として、エルサレムではなく、

ローマ皇帝の法廷で裁かれることになり、カイサリアに連行されました。

25章で、ユダヤ総督に着任したばかりのフェストゥスは、

パウロをエルサレムの自分の法廷で裁こうとします。

 

カイサリアからエルサレムへ、もしパウロの身柄が返送されれば、その途中で

彼はユダヤ人たちに殺されてしまったかもしれません。

けれど、パウロはここで、市民権を理由にローマ皇帝に上訴しました。

ローマ皇帝に上訴したローマ市民の裁判は、本国ローマで行われます。

パウロは、ローマの信徒への手紙で、何とかしてローマに行きたい、と書いていました

。エルサレムなどで起こったキリスト教迫害を避けた人々はすでに、

ローマに到達していました。ローマのユダヤ人社会で、キリストを信じる人たちは

ユダヤ教の「分派」と呼ばれ、知られるようになっていたのです。

たとえ裁判を受けるためであっても、パウロはローマに行くことを諦めていませんでした

。ローマに行って、ローマにいる人々にキリストの福音について語り、

彼らにこの福音を伝えること。キリスト者たちの信仰を育てること。

これがパウロの願いでした。

 ローマ本国への移送が決まり、パウロはユダヤ人による暗殺の危険からは守られました

。フェストゥスにとってパウロは、前任の総督から受け取った、使い道のわからない手駒

でした。総督フェストゥスにとって、皇帝に上訴したパウロは、

土地のユダヤ人たちの不満を解消するための道具にはできません。

フェストゥスは、ユダヤの王ヘロデ・アグリッパが、新しくユダヤ総督に着任した自分を

表敬訪問した時、自分の手の内にパウロが居ることを話題にしました。

皇帝上訴にあたり、フェストゥスが報告書にパウロの罪をどのように書くか、という問題

が未解決でした。パウロを告発する祭司長やユダヤ人長老たちに聴取した、

パウロが十字架のイエスを宣べ伝えた事も、神殿に外国人を連れ込んだ疑いも、

ローマの政治家である彼にとって問題ではなかったのです。

またアグリッパ王には、自分の支配地域で始まった紛争の、

現在の当事者に会って言い分を聞いてみたい、という興味がありました。

 まるで、十字架直前のポンテオピラトとヘロデ王がイエスを政治的にどのように扱うか

、決めかねていた時のように、フェストゥスはパウロとアグリッパの謁見を設定します。

 王から自分の主張を話していいと許されたパウロは、26章1節から23節まで、自分

がイエス・キリストについて伝え続けているのは何故か、

自分がイエス・キリストを信じるようになったのは何故かを語りました。

総督フェストゥスは、キリストに全く興味のない、政治家であり役人でした。

アグリッパ王は代々、王として君臨してきたヘロデ一族ですが、

彼の祖父ヘロデ大王は異邦のエドム人であり、ユダヤの王族の婿だっただけの、王であり

ながらもユダヤ人からは嫌われてきた存在でした。

アグリッパ王の、ユダヤ人たちにも知られた生活の乱れのうわさ通り、

アグリッパは妹ベルニケを妻のように連れて、謁見に臨みました。

 パウロは話の初めからアグリッパ王に、あなたはユダヤ人について情報通である、

あなたは私の話すことをよくわかる方である、と、丁寧な言葉で礼儀正しく語りました。

 パウロがアグリッパ王に話すことのできるたった一度の機会、パウロは

初めから終わりまで、フェストゥスやアグリッパの罪を指摘することはありませんでした

パウロは、自分が宣べ伝えているキリストと、実際に自分が出会ったことをはなしました

パウロがキリスト自身から、キリストの証人として遣わされたこと。

 

 

彼に与えられた使命は、福音を伝え、人々を闇から光へ立ち帰らせること。

ユダヤ人も異邦人も、キリストを信じて、罪が赦され、聖なるものとして、

主なる神の恵みを受け取るようにさせることである、と。

 パウロはこれまで、キリストが苦しみを受けて死に、復活してユダヤ人にも異邦人にも

、光を語り継ぐ、ということだけを語ってきたのだ、と、アグリッパ王に話しました。

この語り継いできたことはすべて、モーセや預言者 つまりユダヤ人たち自身が大切にし

てきた、聖書に書いてあることであって、聖書に書いていないことを話してはいないのだ

、と、アグリッパ王に真剣に語ったのです。 パウロはアグリッパに言いました。

「私が話していることで、あなたがご存じでないことは、ない」

と。そのうえで、パウロは王に聞きます。

「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います

。」

 パウロにとって、彼の話を聞いているアグリッパやベルニケ、フェストゥスが、

聖い生き方をしているかどうかは、問題ではありませんでした。

パウロが問題にしているのは、彼の話を聞いた人々が、信じているかどうか。

信仰があるかどうかが、問題なのです。

 キリストの福音を受け入れた人々はキリストを信じる信仰を与えられ、聖霊が降りまし

た。

聖なるものであったから、信じて救われたのではなく、信じて救われたから、

その信仰によって聖くされ、神からの恵みを受け取れるものとされたのです。

私たちが言えるのは、神はキリストの十字架によって私たちを救ってくださった。

私たちは神の民であり神の家族とされたものということです。

信仰を持った私たちは、神の家族として育てられ、より聖いものと成らせていただくので

す。

アグリッパ王はパウロに言いました。

「短い時間で私を説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と。

この質問をした王が、一時でもこの福音に心を向けた瞬間があった、と、思いたい。

アグリッパが救われた記録が残っていないことは残念なことです。

 使徒言行録を通じ、キリストの福音は語り伝えられ、ユダヤ人だけでなく多くの街で、

異邦人たちが福音を聞き、救われました。

パウロの伝道活動はローマでも続き、この地にも福音は広がりました。

使徒言行録は、聖書において閉じていません。

 信じた者の信仰を認められる聖霊なる神の働きは、閉じていません。

パウロが語り伝えた福音の通り、私たちは十字架と復活を信じる信仰を持っています。

イザヤが預言した、祈りの家に今も呼び集められ、

集う群れの一人として、私たちはここに集っています。 

 

お祈りいたします。