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「反抗を耐え忍ばれた主」

 聖書を広く多くの人に読んでもらうために、ギデオン協会という団体が活動しています。有志の方からの献金を受けて、学校や教育施設の側などで聖書を配布し、またホテルなどの宿泊施設に英語と日本語の対訳になった聖書を配布し、施設の利用者が聖書を手にする機会を増やす努力をしています。

この働きに加わっている方々は、日常生活の中でリズムを決め、配布場所についてよく調べて地道に、一人でも多くの方に聖書を手渡す働きをしておられます。

 ギデオン協会のお一人お一人の働きは、まるで団体の名前になった

ギデオンと、ギデオンを選び出した神が、どのように彼を用いていったかを思い出させます。

ギデオンは、聖書に出てきた時から 用心深く、小心者でした。

当時 遊牧の民ミディアン人によって度々攻められ、農作物も家畜も強奪され、イスラエルの民は弱っていました。

ギデオンは小麦を脱穀する作業を酒船の中でしていました。

ブドウを絞り酒を造るための作業場ですが、酒を造れるほどの収穫物はイスラエルには残っておりませんでした。もしミディアン人に小麦を隠し持っていることに気づかれたら奪われてしまう。脱穀の時の麦を搗く音が漏れることも恐れて空の酒船に隠れて麦打ちをしていたギデオンを、神は「勇者よ」と呼んで、イスラエルのための士師に選びました。

 ギデオンは神が自分を遣わすと聞いて、自分は無力な者で、自分の一族も貧弱な力の無い者であると訴えました。自分には力が無いことを自覚して、

神にはっきり伝えました。

ギデオン自身、神から指図を受けるまでは 他のイスラエルの人々と大差ない存在でした。自分の仲間が、自分たちの神を捨てて他の国の神と呼ばれる偶像を作って立て、街中が、偶像だらけになってしまっている。

けれども、その偶像だらけの町で暮らし、神からその偶像を切り倒せ、と

言われるまでは、その偶像について何の行動も起こしていません。

酒船の中で麦を打っていた時も、ギデオンは自分の知恵でミデヤン人を避ける工夫をしていて、神に祈ってはいませんでした。

「主はあなたと共におられます」と言われても、どうして自分たちはこんなに苦しい思いをするのか、と口答え。

自分を神が遣わすと言うけれど、自分のように弱い者にイスラエルが救えるわけがない、と口答え。

このギデオンの言葉からも、この時代のイスラエル人が、

神の力を、忘れてしまっていることがわかります。

先祖をエジプトから導き返して下さった主なる神についての言い伝えは、今、

苦しんでいる彼らには美しい伝説に近いものになってしまっています。

ギデオンは、神に作戦を命じられるたびに、しるしとしての奇跡を求めました。

 ギデオンは、神を試みましたが、試みた相手が真の神であることを見るたび、

自分は神に罰せられ、死ぬことを恐れました。

でも、主は彼を死なせることはなく、神の力を見て勇気を出したギデオンは、

自分たちの町に彼の父親を始めとする人々が立てた異教の神、バアルの祭壇を壊し、そこに主なる神のための祭壇を築いて捧げものをしました。

ただ、昼間に堂々としたわけではなく、仲間以外が寝静まった夜中に行ったあたりが、ギデオンらしいところです。

その後、ギデオンは本格的にミディアンと戦うため、神から知恵を頂いて300人の自分の軍隊を組織しました。神の言いつけ通りに動きながら、

彼はまだ自分が勝てるとは思えずにいました。

そんなギデオンに神は、敵の様子を探りに行け、と言おっしゃいました。

探りにいったギデオンは、じつはミディアンの軍人たちも、ギデオンたちを恐れていることを知るのです。

ミディアン人が見た不思議な夢を、神はその仲間のミディアン人の口を通して解釈されました。ミディアン人が、仲間の夢を解釈して、

イスラエルの神が、ギデオンの手に、ミディアン軍を渡されたと、言いました。ミディアン軍は、ギデオンによって滅ぼされる。それをミディアン人が思ってる。

神が勝たせてくださる、と敵の口から聞いたギデオンは、神に命じられた戦いに、勝つことができることを信じました。

神が自分の味方である。神の力は、ミディアンにも働いている。

ギデオンの時代の人が信じられなくなっていた神の力を、

現代の私たちは、信じているでしょうか。

ギデオンの時代も、イエス・キリストの時代も、そして現代も、

神は同じように働かれてきました。人が、神の働きが行われていることに、気づいても気づかなくても、神は変わることなく、私たち人間を愛し、

生きる者に命を与え、時を与え、季節を与えて生活させて下さっています。

ギデオンの周りの人たちは、ギデオンが偶像を壊すと、

彼の父親に文句を言いますが、直接ギデオンに文句を言う人はいません。

戦う時も、とりあえず集まって来ますが、

「恐かったら帰っていい」と言われると大半の人が帰ってしまいます。

ギデオンの時代の人は、起きた問題に驚き、今の苦しみに文句を言いました。

でも特に自分から行動を起こすことはありませんでした。

ギデオン自身もそうだったように、とりあえず怖い目にあわないように。

面倒なことにならないように。でも外敵に攻められ、苦しい目に合うのはいや。

 神から選ばれたギデオンは、神を試みた、と言いました。

モーセを通して与えられた十戒に、神を試みてはならないとあります。

ギデオンのしたことは、正しくはないように見えます。

でも、彼は彼の時代の人と、明らかに違いました。

神が、彼を選んだだけではない。

彼は、神に向かい「わたしの主よ、お願いします」と、思っていることを言いました。最近出版された聖書協会訳では、この「私の主よお願いします」は、

「お言葉ですが、わが主よ」と、はっきり言い返す言い方に訳しています。

また、ギデオン自身を、神が納得させるために、

奇跡を起こして下さるように願い、聞き届けられています。

神は、ご自分に向かって願ったギデオンの願いが、

神を信じたい。神の力に頼りたい。神が真実に信じられる方だと知りたいという、ギデオンの信仰の叫びであることを知っていて、受け止めて下さったのです。

信じる心を、神の力で与えられたギデオンは、当時のイスラエル人が勝てるとは思っていなかった相手に勝ちました。

 新約聖書のヘブライ人への手紙には、ギデオン以外にもたくさんの士師たち、神を信じ神に従った人たちが出てきます。

ヘブライ人への手紙に書いてあるように、確かに神を信じたこれらの人々は、

生きているうちにキリストの十字架を見ることのできなかった時代の人々です。

神に従わなかったイスラエルの人々が、その不信仰のために神の力を頂くことができず、苦しむ時に、まだ彼らは十字架による罪の贖いを知りませんでした。

キリストの十字架と復活、そして聖霊という、新約聖書の時代以来、神が信じる者に与えて下さる恵みを、彼ら旧約の時代の人々は知りませんでした。

でも、ギデオンをはじめ、多くのキリスト以前に神を信じ、

従っていた人々は、神の力、神のご計画を信じていました。

 自分の同胞たちが、当たり前のことのように神から離れ、

手で作った偶像を拝む様子を見ながら、神に願うことを止めませんでした。

彼らにとって、神が目に見えないということ、神を信じる人が自分の周りに今、いないということは、問題ではなかったのです。

見えない方でも、祈りを聞いて下さる方。見えなくても、そこにいて下さる方。

他の誰が信じていなくても、自分は信じ、愛して下さる正しい神。

 神は、ギデオンたちのように、それでも信じ続ける人々をいつも、

力づけて下さいました。ヘブライ人への手紙に出てくる人々は、残念ながら、

彼らの人生が100パーセント神に喜ばれる生き方だったと、言えない人々です。

みな、人生のどこかで神に背き、

神に逆らい、神を悲しませることのあった人々です。

 それでも、彼らが神に立ち返った人々だから。神に懲らしめられても従った人々だから、神は彼らを愛し、彼らも神からの愛を受け取ることができた。

神は、逆らい続け信仰をたびたび捨てたイスラエルの民を、それでも愛して来られました。

神は、私たちの毎日の暮らしが、神の前に不誠実であっても正しくなくても、

愛して下さっています。

神の愛を受け取ることができるかどうか。

それは、たとえ自分が正しくないと知っていても、自分が神に背いた生き方をしてきたと知っていても、

あの酒船に隠れていたギデオンが「私の主よお願いします」と言って、

神に奇跡を願ったように。神のほうを向くならば、

私たちは信仰によって、神に向かい合うことによって、キリストの十字架によって開かれた道を通り、神に近づくことができるのです。

 多くの、神の愛を受け止めなかった人々の存在を受け止め、

長い歴史の中で神に反抗してきた、神を知ろうとしなかった人々に忍耐された主は、いま、私たちを見ていて下さいます。

私たちには、たくさんの信仰の先輩方の記録が、聖書として与えられています。

反抗する気持ちがあるならば、むしろ、そのまま、

優しく丁寧な言葉で祈ることが難しいならば、いま、使える言葉、

今の気持ちの言葉で、ギデオンのように、

神に面と向かって行く時、神は私たちの目の前にいて下さいます。

神の愛の現れとして十字架を担われたイエス・キリストをみつめて、

きょうも、神に近づいてゆきましょう。

 

 

お祈りいたします。