· 

「復活の主」

 

 マグダラのマリアともう一人のマリア この人は多分、ヤコブとヨセフのお母さんですが、朝早くイエスの墓に行きました。彼女たちは、イエスを葬る様子を見届けていますから、墓の場所はわかっていました。この地域の墓は横穴式で、中は入口より少し低くなっています。穴の入り口は大きな石で塞いでありました。イエスの墓は、総督ピラトの命令で

番兵が置かれ、厳重に管理されていました。

 地震が起きたのは、マリアたちが到着したころだった、とマタイは書いています。

これは日本で起きている地震とは違い、原因は地下ではなく天から来ました。天使が降りてきたのです。天使は雷の稲妻のように光り輝いていましたから、そのあたりにいた人はみんな、見て、気付いていました。

 番兵たちは、地震と天使の光り輝く姿に震えあがりました。気を失ったのか、呆然自失

して動けなかったのか、死人のようになった、と書いてあります。

マリアたちも驚いていました。天使はマリアたちに話しかけましたが、第一声が

「恐れることはない」です。でも、それは無理です。訓練を受けた兵隊が震えあがるほどの経験をして、女性たちが恐れないわけがありません。さらに天使は彼女たちに、

あなたたちが探しているイエスは、復活された。ここには居ない。と言いました。

マリアたちは、イエスの遺体を見て、葬りのために香油を塗りに来たのです。探すつもりはなく、ここに葬ったから来た。でも、天使が見せてくれた墓の中は、確かに空でした。

 映画パッションで、イエス・キリストの十字架の死と復活が描かれたことがあります。

映画の最後、イエスは墓の中で立ち上がり、明るい表情で歩き始めました。

新約聖書の4つの福音書はすべて、復活の朝、墓が空だったことを記録しています。

マリアたちも弟子たちも、また番兵たちでさえ、イエスが復活し墓から出ていく様子を見ていないのです。甦ったイエスは、墓の中、死の世界に居続けることはなく、すでに活動を

始めていたのです。

 天使は、役割を果たしました。墓の入り口の石をわきへ転がしさらに、

その石の上に座りました。墓が空であることを、見て、確認できるようにしたのです。

そして、恐ろしさに動けなくなっていたマリアたちに言ったのです。

「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」天使がマリアたちの顔を見て、目線を合わせて、はっきりと ゆっくりと、話して聞かせる様子が目に浮かぶようです。彼女たちは天使の言葉を聞きました。彼女たちは、

まだ恐れていました。でも、理解し、喜んだのです。「急いで」と言われましたから、

彼女たちは走り出しました。

 この朝、イエスの墓から走り出したのはマリアたちだけではありませんでした。

恐ろしさに呆然自失した番兵たちの中に、あわてて祭司長たちに報告しに行った者たちが

いたのです。墓が開いた。天使が現れた。イエスの体が無い。

祭司長たちは急いで対策会議を開きました。イエスの体が無いことの理由を、説明できるようにする必要がありました。本当に復活した?まさかそんなこと。祭司長たちが言えるわけはありません。自分たちが十字架につけたイエスがメシアだ、なんて言えない。

番兵たち、黙っていなさい。お金を上げよう。あなたたちがピラトから罰せられることは

無いようにするから。こうして、番兵たちの目撃証言は握りつぶされました。

 きょう読んでいただいたのはダビデの賛歌です。この詩編を、イエス・キリストの復活を知って読むと、十字架の贖いによって救われた者の賛美と重なります。

主なる神はイエスを十字架に引き渡しました。イエスは十字架で「わが神わが神なぜ

わたしをお見捨てになるのか」と叫ばれた。しかし、イエスは裁かれて陰府に降ったまま、墓に葬られたまま放置されることはなく、墓から出て命を与えられました。

私たち人は、主が土の塵から造りあげられた者。死んでしまえば、すべてが終わる。

死ねば塵に帰る者です。しかし、主イエスは私たちの身代わりに死に、滅びを引き受けて下さいました。主の復活によって、滅びゆく者の嘆きは、永遠の命の希望に変わったのです。

私たちは永遠の命を与えられ、主と共に、神の国の民として終りの日の栄光を約束されています。私たちが毎年、主の受難と復活を記念し祝うのはこのためです。

この世で生きている命の日々が、死に至る嘆きの日々から天の国に至る喜びと感謝の時となったのです。

 復活の主イエスは、恐れと喜びで興奮状態のマリアたちの前に現れました。

新共同訳聖書でイエスは「おはよう」と言ったと訳されています。この言葉はシャローム。

もう一つの訳では「平安があるように」という言葉です。そしてイエスも言いました。

「恐れることはない」地震と天使の輝きの中で浮足立っていたマリアたち。イエスは

彼女たちに、ちょっと落ち着こう。恐れないで、あなたの信仰の仲間、兄弟たちに、ガリラヤへ行くように伝えなさいと、言われたのです。天使が主のために働いたように、

マリアたちもすでにイエスのための働きを与えられ、主の同労者とされました。

ガリラヤは弟子たちの故郷。イエスが宣教を始められた土地。彼らがイエスに出会い、弟子となった始まりの地です。イエスに出会った時、イエスと共に歩き始めた地に行き、恐れないで、主に従って歩む人生をやり直す。ガリラヤで弟子たちと再会したイエスは、

恐れ疑う彼らに約束を与えて下さいました。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 復活の日の朝、番兵たちは恐れおののいて報告しましたが、目撃したことを否定され、

口をつぐむように命令されました。

復活の朝、恐れおののいたマリアたちは、天使の言葉に喜び、主イエスに励まされて、

主の言葉を伝える者として歩き出しました。

主の死と復活の恵みと力を頂き、救われた私たちです。口を閉ざし、主との出会いを無かったことにするのではなく、喜び賛美しつつ、主の死と復活を伝え続ける者として、

主に頂いた命を生きて行きましょう。

お祈りいたします。