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「手を大きく開け」

 

 

申命記 15 章はそのまま受け入れることが困難な箇所でしょう。7年に一度、すべての負債を免除しなさい。貧しくて自分自身を売って奴隷となった人も7年目には自由に解放しなさい。ただ自由の身にするのではなく、あなたの家を離れても生活できるように、羊や麦、酒ぶねから贈り物をしなさい、と命じています。
現代、私たちは ほぼ一生をかけて、何十年ものローンを組み、自分たちが稼ぎ出す毎月の収入では支払えない高額の買い物をします。住宅や土地などを手に入れる時、この借金を
契約期間内で支払えるか。支払えない時、負債を負うのは誰か。その時、問題になるのは仕事や勤務先、家族関係などから判断される支払い能力=信用です。
きょうの申命記のようにすべての契約が7年で終わるのなら、7年以上のローン契約は無効になります。貸す側には大損害です。7年目が近づいたからと、貧しい同胞の借金を断るよこしまな考えは持つな、ですって?よこしまなのはどっち?と言い返したくなります。
底抜けの大盤振る舞いを命じるような中で、3節の「外国人からは取り立ててもよい」は
ひっかかります。新旧約揃った聖書を持つ私たちは、イエスが命じた「すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」が頭にあって、なぜここで外国人を差別する?と思ってしまいます。
きょう読んでいるのは申命記です。モーセ五書と呼ばれる律法の書です。律法は神と神が選び出したイスラエルの民の間の、イスラエルを神の民とするための契約の書です。
申命記の段階では、イスラエル人以外の外国人はこの契約の対象外です。神は彼らを神の民とする契約において、この負債免除の規定を命じています。主なる神を自分の神とする民だから、神との間で7年に1度の負債免除を命じるのです。誰とも7年以上の貸借契約を結んではいけない、とは言っていません。
支払い能力があるのに支払わずに7年目に期待するような、都合のいい規定の使い方を
赦しているわけではありません。神がご自身の民として選び出し、十戒の「あなたはわたしの他になにものをも神としてはならない」という規定を受け入れた民にだけ、この負債免除を示されたのです。
外国人がイスラエル人でないから既定の外に置かれたのではありません。
神の民か、神の民ではないか。主なる神を信じて、主の御声に必ず聞き従い、与えられた戒
めを忠実に守るかどうか、が問題なのです。
あなたとあなたの同胞が借金の約束を交わす時、必ずあなたたちの神、主が関わっておられる。あなたの財産も立場も命も、すべて主なる神があなたに与えたものだから。
あなたが神の民である同胞に貸すものはすべて、あなたが神から頂いたもの。
申命記の規定は契約です。人と人1対1の契約ではなく神と人と人 3 者の契約なのです。あなたに負債の免除を命じる神はエジプトで奴隷だったあなたたちを救い出された神です。あなたも同胞も主なる神の民なのです。命の責任を持って下さる主に信頼して、あなたの手を大きく開きなさい。私たちのこの世の信用をはるかに超える方、主が必ずあなたを祝福されます。あなたの仕事も商売も神の民として生きるあなたの生活のすべてに神が責任を持って、祝福して下さるのです。
この女性は、貧しい人に施しをしなかった、と言ってとがめられました。彼女が使ったのは最高級の純粋なナルドの香油。現代もスパイクナードの油は流通していますが、他の油や香料を混ぜた使いやすいものでも大匙 1 杯(15ml)4000 円。        300 デナリとは 300 日分:
つまり約 1 年分の賃金に相当する以上の値段ですから、あえて 2022 年の価値:時給 1200 円
で計算しても 200 万円以上。1 回で 1 瓶まるごと使うには惜しい香油です。ナルドは石膏壺入りで取り出すには割るしかない。石膏壺の割れる音と、この家の中に一気に広がった素晴らしい香り。この行動に全員が気づきました。この家の人々が騒ぐのも無理ないでしょう。救い主と訳されるキリスト=メシアは油注がれた者という意味。イスラエルの王や預言者
の任命の時、祭司が聖なる油を注ぐのです。油注がれた者は聖なる務めに任命された者。
マルコ 14 章はこのあと、最後の晩餐やイエスのゲッセマネの祈り、大祭司の家でのイエスの裁判の記事へと続きます。 救い主としてお生まれになった方。イエスは誕生の時、東方の博士にそう呼ばれました。まさに預言の成就に向かう救い主が、十字架への道を辿る直前、イエスは油注がれナルドはイエスの受難の道から十字架上までも香り続けました。
とんでもない無駄遣いを責められる彼女にイエスは言われました。
「するままにさせておきなさい。…この人はできるかぎりのことをした。…わたしの体に香油
を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」 人である彼女が、イエスのその後の道を知るはずはありません。 彼女は香油を「使うのは今」と決断しました。
「与えるとき、心に未練があってはならない」のです。高価なものへの未練も、愚かなことを下と言って非難されることも、また薫り高い油によってこの行為が知られてしまうことも、彼女の決断を止めませんでした。主なる神は彼女の素直な信仰を用いて、あらためて、
彼女の手を通してイエスに聖なる油を注がれたのです。
申命記は負債免除の規定で何度も「主はあなたを祝福される。主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる」と告げた上で、「手を大きく開きなさい」と命じます。
命も未来も、私たちの全能の神はすべて、責任をもって下さるのです。
貧しい人弱っている人に心を向ける時も、主が示して下さる一見無謀な決断の時にも、
私たちが注意すべきは それをしても損をしないかどうか ではなく、主なる神を信じて、主の御声に必ず聞き従い、与えられた戒めを忠実に守っているかどうか。
世の初めから終わりまで、常に見守っていて下さる主にすべてお委ねしましょう。
命をも与え、私たちの不信仰の罪のために、独り子イエスをも惜しまない方が、いつでも私たちの必要をしっておられるのです。
旧約聖書箴言3章27節を口語訳でお読みして本日の説教を閉じます。「あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。」
お祈りいたします。