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「イエス 主は我らの救い」

 

 エルサレムが軍隊に囲まれる。世の終わりについてイエスはとても強い言葉で語っています。
エルサレムは実際に西暦66~70年の第一ユダヤ戦争と呼ばれるローマ帝国とユダヤ人の戦いで、滅びています。 ルカによる福音書は西暦80年頃に書かれた、と言われていますので、
ルカはエルサレム陥落の時代に生きて この福音書を書いていたと思われます。
自分も経験した危機をイエスの言葉の中にみつけたルカは、イエスが指導した「助かるための方法」をここに書きます。
 今もエルサレムの中にある「岩のドーム」と呼ばれる所は、昔 アブラハムが息子イサクを捧げようとしたモリヤの山にあたります。預言者ミカが引用したイザヤ書2章「『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る」このように、平和の町、神の家を意味するエルサレムは、ユダヤ人たちにはそこに居れば、神に守られ祝福を受ける場所と考えられていました。しかしイエスは人々に、山に逃げなさい。都の中に居る人は立ち退きなさい。
都に入るな、と教えます。
 詩編にも「私は山を仰ぎ見る…助けは天地を造られた主のもとから」来ると書かれたように、
山は 主なる神に近い場所と考えられていました。
山に逃げなさい、は、攻めて来た敵から隠れ離れるために人里離れた場所に隠れよ、というだけでなく、聖なる神のみもとに逃れよ、ということでもあるのです。
 太陽や月や星など天体が揺り動き、地上で海がどよめくという言葉で、特に私たち日本人は津波を思い出します。聖書の記述が、科学的にも正しいとするたちは、太陽に現れるしるしも実際の現象と考えます。太陽に現れる黒点は、農作物や動植物の生育にも地球上の電子機器にも影響があると言われます。
太陽や月を、当時のローマ帝国などの力を表す言葉と考える人もいます。ユダヤ人の大切な都エルサレムも一度は滅んだように、ローマ帝国も今はありません。
強大な国も絶対ではありませんでした。
人間はいろいろなものに助けを求めます。日本でも、高い山は崇高なもの清らかな場所と
考えられ、多くの宗教が山の中に施設を置きます。山の高さのように、自分を超える大きな
もの 強いものに、私たちは絶対的な力を期待します。高い学識や財力も悪いものではありませんが、どれほど凄いと思われても永遠ではない。エルサレムは戦火で灰となりました。
世界に影響を及ぼす巨大企業も、時には株価が大暴落し市場からも記憶からも消えてしまう
ことはあるのです。
 
 エレミヤ書には、回復と再生の希望の預言があります。
エレミヤも、破壊されたエルサレムやユダを見ています。バビロンと戦い、ユダの人々は
捕囚となり、破壊され住む者も居なくなった町々にエレミヤも、残された人々も、希望を持てなくなっていました。
 ここ数年、全世界が経験しているコロナや、震災や水害などの災害で、私たちが当然と思っていた秩序も価値観も日常も、いとも簡単に変化します。事件も、事故も、戦争も、
経験した私たちには、それ以前を思い出すのも、昔の幸せが戻ると考えるのも、しばしば
とても難しいのです。そして、座り込んでしまうのです。もうだめだ。失ってしまった。
大失敗だ。やり直す気力も体力も無い。
主は繁栄の回復を告げます。荒れ果てたユダの町やエルサレムに、結婚式を祝う喜びの声、神の祝福を感謝して献げ物を持ってくる人々の賛美の声を廃墟の中の預言者エレミヤに聞かせます。
主が見せて下さった回復のイメージは、群れを成して戻って来る羊と、その羊を数える羊飼いの喜ばしく忙しそうな声。豊かな河の流れのように、流れ込む羊の群れは生命力に溢れ、その豊かさはエレミヤの心から絶望を流し去りました。
 主はもう一つ、救いのイメージをエレミヤに与えます。戦いで失われたダビデ王家に、新たに治める者を立てて下さる、という預言です。
この新しい王を、主は正義の若枝と呼びました。この若枝によって、ユダとエルサレムは安らかに人の住まう都になる。主がこの若枝の名を「主は我らの救い」と呼ばれました。
「主は我らの救い」 という意味の名前が、 イエス です。
イエス のイメージとして主が示された若枝。芽生えたばかりの 若々しい枝は、やわらかく
美しく 香りよく、溢れる生命力は 豊かに成長し、さらに枝葉を茂らせ、太陽の恵みをいっぱいに受ける、育ちゆくものの姿を現しています。
イエスは大人としてではなく 赤ちゃんとして地上に来られました。他のどの生きものと比べても、人間の赤ちゃんは弱いのです。生きるために、すべての面で助けを必要とします。
赤ちゃんは大人には出せない大きく響く声で泣き、小さく弱い自分を隠すことなく、さらけ出します。置かれた場所の環境を敏感に感じながら、赤ちゃんは日々、驚く早さで成長します。
神である方が、人間の生涯の中で最も死に近い者として、人間の世話無しに生存することのできない弱く小さい者として、神の子が地上に生れたのです。
弱さを知っていて下さる救い主は、私たちに助けが必要なことを よく ご存知です。
最も小さく弱い存在として地上に来られた方は 命を与える主 三位一体の主です。
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」とイエスは言われました。
神の国と神の言葉は決して滅びない。 神と神の言葉以外に「絶対」も永遠も無い。
この永遠を教えて下さるイエスは、神のもとから救い主として地上に遣わされました。
私たちが仰ぎ見る山よりもなお 高く尊いところから、神である方が地上に来て下さる。
今年も、救い主の降誕を待ち望む待降節 アドベントに入りました。
この季節の尊さを、もう一度噛み締めたいと思います。
 約束されたのは命です。与えられたイメージは、育ちゆく赤ちゃん 若枝の希望です。
この方が 助けを求める私たちの声を聞く方、共に歩いて下さる神です。
その名は イエス。 主は我らの救い です。
お祈りいたします。