· 

「確かめて選ぶ」

 

 聞け、イスラエルよ。シェマー イズラエル 律法を読み上げる前に、必ずこの言葉が
民全体に叫ばれました。これを聞いた民は これから主なる神の掟が語られる!と緊張し
耳を傾Aaのです。聞け、イスラエルよ 我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
守れ、と言われた掟の第1が「主を愛しなさい」 それも、心も魂も力も尽くして。
尽くす と言う言葉を 調べてみました。
「そのことのために全部を使ってしまう」「ある限りを出しきる」「果たす」「全うする」
私たちが「愛する」と聞く時に思い描く「好きだ」「一緒に居たい」などの温かい想いより、
ずっと全力投球の、全身全霊での「愛する」が求められています。
 そして、この教えを心に留め子供たちにも繰り返し教えなさい。それも、
家でも道を歩いていても寝ても起きても語り聞かせなさい。…睡眠学習でしょうか…
さらに あなた自身も、この掟を手にも額にも家の柱にも門にも結び付け、
忠実に行いなさい。第一のものとしなさい。
もう、どこにいても忘れたり後回しにできないように! 
冷静に落ち着いて注意深く!と緊張しますが、聖書の掟は 強い激しい圧をかけて、
私たちに迫って来ます。
15節「あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である」
熱い方なのです。私たちの神、主は。冷静さよりも情熱を求める方なのです。
この「熱情の神」を、
口語訳や新改訳の聖書は 「ねたむ神」または「ねたみの神」と訳しました。
荒野を旅してきたイスラエルの民を、先祖に約束した豊かな土地に導き入れる。
そこには民が造ったのではない住みやすい町、豊かな貯水池、実り溢れる農地がある。
あなたたちの神、主はすべてを備えていて下さった。あなたたちは豊かになって安心して、
あなたたちを導いて来られた主を忘れてしまわないように注意しなさい。
まして、その土地に前に住んでいた民が拝んでいた神々などの仕えてはならない。
あなたの神、主は熱情の ねたむ神。
神の怒りの炎があなたたちを焼き滅ぼさないようにしなさい。
燃える火はゴミ一つ残さずあらゆるものを焼き尽くします。
私たちの中にある迷いや ごまかし、不完全さを燃やして消して下さるなら 感謝な事です。
でも、もし私たちが主から離れ、私たち自身に主の怒りの炎が燃えるとしたら。
それはとても恐ろしい。全能の神の御手から逃れられる人はいません。
 ルカによる福音書4章イエスの荒野での悪魔の誘惑の記事は、マタイやマルコも書きました。
誘惑を受けるのは、弱くなっている時。でもこの時、イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受け、ヨハネも聖霊がイエスに降るのを「見た」。イエスは聖霊に満たされ荒野に向かいました。イエスは荒野で40日間「『霊』によって引き回され」て歩き回りました。
ずっと、悪魔の誘惑は続いていました。
「聖霊に満たされ」ていても、誘惑は避けられなかったのです。
 イエスが自分は空腹だ、と感じたのは40日が過ぎた時でした。
悪魔は、人が最も弱くなる空腹の自覚を待っていました。
悪魔はイエスに毎回、あなたが神の子なら~と語り掛けます。
 イエスは悪魔の言葉すべてに、申命記の聖句で答えています。
荒野で『霊』に引き回されながら、イエスは申命記の学びをしていたのでしょう。
「この石にパンになるように命じたらどうです?」。
お腹がすくと、何を見ても食べ物を思い出すことはありませんか?
イエスの答えは、申命記8章3節「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」からの引用です。
 「権力と繁栄は私=悪魔に任されている。私を拝めばこれを与えよう」に、イエスはきょうの申命記6章13-14節「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、御名によって誓いなさい。他の神々…の後に従ってはならない」を引用しました。
荒野での40日の学びが、誘惑に勝つ力となったのです。イエスは聖書を武器にしました。
 恐ろしいことに悪魔も聖書を使いました。「聖書にも あなたを守る 支えると書いてある」
その箇所がここだ、と、詩編91篇の言葉を引用しました。どうやって闘えばいいのか。
先ほどイエスが引用した6章13節「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え…なさい。」
主なる神を本当に 「畏れ」 神こそがすべての主権を持つことを信じ、へりくだり、従う。
その時に、あなたが約束を守って下さい、と、言えるでしょうか?
「だから、この神殿の屋根から飛び降りてみろ。神はあなたを守るのだろう?」 
という 悪魔の言葉に、主に対する「畏れ」はありません。
神を自分の道具として使おうとする、傲慢で不遜な、思い上がった者の姿があるだけです。
 エデンの園でエバが「それを食べると、あなたも私のような賢い悪魔になれる」
と言われたら?悪魔が言ったのは「それを食べると、神のようになる」でした。
神を信じるからこそ、私たちは願います。
少しでも早く 確実にイエスに似たものとなりたい。
そこに 悪魔の声が聞こえるのです。
コリントの信徒の手紙二 11章14節「サタンでさえ光の天使を装うのです」。
ご存知でしょうか?
風邪をひいて高熱が出るのは、熱によって細菌やウィルスと体が闘うからです。
人間の体は熱を出すと抗体が上がり、病に打ち勝つことができます。
エマオへの道で復活の主イエスに出会った弟子たちは、言いました
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」。私たちは熱情の神の霊を受けた者です。
主は私たちを、信仰によって内側から暖め、燃やすことができます。
イエスを十字架に架けることも厭わない、情熱の神、主の御力によって、
霊の体の抗体を上げ 悪魔の声を聞き分ける力を頂きましょう。
「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」
お祈りいたします。

 

 ノアの箱舟 と呼ばれる大洪水のエピソードはよく知られています。箱舟に入って助かったのは、すべての動物とノアとノアの妻、そして3人の息子たちとその妻。
教会にある絵本には、箱舟に哺乳類も爬虫類も昆虫も来て、ノア一家8人が世話しているところが書かれています。 なぜ、ノアの一家だけ助かったのか。
当時の地上は神の御心に適わない、大いに堕落した人ばかり。神が地上を見てどう判断されたか、そして何を決断されたかが書かれます。  ノアは神に従う無垢な人。ノア一家と地上に住む命あるものを守るため箱舟をつくり、それに入れ、と 神はノアに指示します。
雨が降り始める前から箱舟造りは始まりました。まだ何も起きていないのに舟を造る。
渇いた地面の上の箱舟に乗る、どちらにも主を信じる信仰が必要でした。
6章にも7章にもノアの気持ちは書かれません。ただ、神に命じられるまま「果たした」と書かれているだけです。大雨の音が、舟の外に居た人々の声や物音を、ノアたちから遠ざけたことを願うばかりです。なぜ、ノアの一家だけが助かったのか。なぜ、ノア一家は主の言葉を信じて行動できたのか。
 15節16節に、箱舟の設計が書かれています。3階建て。側面に戸口があり、明り取りの窓(隙間?)があり、動物たちを入れるために、区切られた部屋が沢山ある、木造の舟。
この舟には、進路を決める舵もありません。
舟が動くために必要な、風を受ける帆も 漕ぐための櫓や櫂も、
ペダルもエンジンもありません。広い窓もレーダーもありません。明り取りから少し外が見えるだけ。雨が振り込まないよう、ノアたちは舟に覆いをしました。
外は全く見えません。ただ浮くだけ。舟は沈みはしません。波の上を漂うだけ。
きょう、お読みいただいたヨハネの手紙一4章は、今の時代のことを言っているのか、と
思うものがあります。  偽預言者が大勢、世に出ている。 世のなかの多くの人が偽預言者の声を聞くけれど、神様のことや聖書の語る天国のことを聞かない人ばかり。
私たちは毎日のように詐欺電話の被害を聞き、注文していない商品の連絡を受け、個人情報や写真の流出に神経を尖らせます。どれが正しくて、どのメールには返事をしてはいけないのか。
自分の眼で見て、自分の手で触れたものさえも ホンモノ?と疑ってしまう時代。
自分の魂や命がどんな危険の中に置かれているか、箱舟の中のノアと同じか それ以上に、
私たちの毎日は雑音や不安に満ちています。 
  ヨハネは「確かめなさい」と言います。この手紙が書かれたころ、ヨハネの時代のイエスについてのウワサには、イエス・キリストは神ではなく人間だ、とか、預言者の一人だ、など、いろいろな説もありました。 人間イエスに神の霊が憑依して一時的に奇蹟ができた説や、イエスは人間ではなく霊魂だけで、生まれたのも十字架もそんな風味見えただけの幻 という説もありました。   でも、それではダメなのです。それは全人類の罪の贖いにはなりません。
霊魂だけのイエスでは、死の力にも滅びの力にも、勝つことはできません。 
悪意や自分勝手で暴力的な考え方で話しかけてくる者と、真実の愛で私たちを導く方と。
見分け聞き分け、惑わしから逃れるため、私たちは救い主の霊を選ぶ基準=鍵が必要なのです。
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 」
 ノアの時代の人々は箱舟に目を向けませんでした。ノア一家が主なる神に従って、御言葉通り箱舟を造る間も、世界中から動物たちがその舟に向ってやって来た時も、誰一人 興味も関心も無かったのです。
 私たちも、ヨハネが手紙に書いた「世」にいます。一緒に働く人たちも、同じ町に住む人も、残念ながら まだ聖書にもイエスの福音にも 興味や関心のない人ばかり。
私たちの日常は、ノアの箱舟と似ています。詐欺のニュース、自然災害、戦争や経済の問題。どれも信仰の有る無しに関わらず直面する問題です。
だれも、自分の行く先も人生も完全に思い通りに動かせる人はいません。だれもほんの少し先の自分の運命を知る者はいません。
 ノアは信仰を通し語る主なる神に従い、洪水と嵐の中を生き延びました。 
神の愛を知り、導き手として信頼することができるか。それは命や魂の問題です。
ノアは箱舟に乗って、命も自由も進路も希望も力も、すべてを神の手の中に委ねました。
人生の問題に直面した時、ノアが何もかもを委ねたのは、全知全能の神です。
私たちを造り、私たちが持つ罪を知る方。私たち一人一人のために、イエス・キリストを地上に遣わし救いの道を開いた主です。
 箱舟は確かに、大揺れに揺れたでしょう。ノアたちも動物たちも、船酔いしたことはあったかもしれません。嵐の中、振り続ける雨の中で、またいつ地面に辿り着くかわからない水の上で、不安にならないわけはありません。 小さな明り取りからカラスやハトを飛ばした時の、
すがるような彼らの思いは痛々しいほどです。
でも、彼らは生き延びました。舟は新たにされた大地に着きました。
「イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。」私たちがまだ、神にもキリストにも関心を持たなかった時から、主は私たちに興味を持ち、愛して下さいました。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う
いけにえ として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」
イエス・キリストの十字架が、私たち人間すべての罪のためだ、と信じ告白する者に、
神はご自身の霊を与えて下さいました。
愛しているから。ご自分のすべてを、聖霊によって私たちに与えて下さいました。
「あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。…あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです」 
イエスを信じる者は、その人の内なる聖霊の力によって、神の言葉を聞き分けるのです。
愛によって命に繋がる道に導く、神の霊の言葉を信じて耳を傾けましょう。
お祈りいたします。